芸人、YouTuber…おもしろ業界から学ぶ「めざせ!仕事がデキる人!」マンガ家編 PART1

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このシリーズでは、活躍する人や「○○の卵」として奮闘する人がどのような目標を立てて日々行動しているのか、どんな気持ちで仕事にのぞんでいるのか、さまざまな業界でヒアリングを実

施。今回はマンガ家として活躍している水元あきつぐ氏に話を聞いた。

仕事がデキる人はどんなふうに働いているのだろう?

日々の仕事を「コンピテンシー(=仕事がデキる人の行動特性)」の考え方を軸に振り返ると、さまざまな発見があります。

あなたも毎日の仕事をもっとワクワクがんばれるエッセンスが見つかるかも

~聞き手~

松本隆博

兵庫県尼崎市出身。2008年ソニー・レコーズからメジャーデビュー。その傍ら、40歳を契機に東京進出、 企業内ベンチャーにて起業し経営者となる。現在は元企業経営者の経験を活かし、ニート・フリーター対策を目的に「生きるとは?働くとは?」といったテーマで、全国各地の高校を周り、ライブ活動を行う”社会貢献的エンターティナー”として活動。ステージのスクリーンに映像を映しながら進めていく”講演ライブ形式”で、ライブやテーマ毎に合致した楽曲を歌い、イベントへの出演依頼も絶えない。2016年あしたのチーム総研主席研究員に就任。

~今回のお相手~

水元 あきつぐ さん

1973年、宮崎県生まれ、神奈川県育ち1995年、週刊少年ジャンプ増刊『RAI』でマンガ家デビュー。同年、『KIDS』で第50回手塚賞佳作を受賞。1996年、週刊少年ジャンプ増刊『HEY!HEY!LIFE!!』掲載。1997年、週刊少年ジャンプ『HEY!HEY!LIFE!!』、週刊少年ジャンプ増刊『画-ROW』掲載。1998年、週刊少年ジャンプ1号~11号『画-ROW』連載。1999年、週刊少年ジャンプ増刊『RAI』掲載。2000年、週刊少年ジャンプ増刊『@NOMALY(アノマリー)』掲載。その後、藤沢とおる氏などのアシスタントとして活動。2010年、月刊少年チャンピオン『夢から醒めたら』掲載。2010年~2016年、最強ジャンプ『グルメ学園トリコ』連載。2011年、電撃コミックWEB『渋谷ハチ公前』(原作:藤沢とおる)連載。2012年、NICKER Sryle『天空の鳶』(原作:新田哲嗣)掲載。書き下ろしの単行本は2011年、ダイヤモンド社『マンガ コハダは大トロよりなぜ儲かるのか?』。2014年、TOブックス『あるあるシリーズ』5冊(イラスト監修)。2016年、リンダパブリッシャーズ『もしもディズニーの卒業生がレストランを開いたら』(漫画監修)。2016年、トレンド・プロ『ヒロセ物語』(原作: 新田哲嗣)など多数。2017924日、マンガ雑誌アプリ「マンガボックス」で新連載『デッドランキング』をスタート。

 

――私の弟も小さい頃はマンガ家に憧れていました。水元さんがマンガ家をめざしたきっかけを教えてください。

原点は幼稚園児の頃にさかのぼります。大手スーパーが主催する「母の日の似顔絵コンテスト」に応募したところ、特選賞を獲得したんですよ。全国トップクラスの成績で表彰楯までもらいました。すると、めったにほめない父がたかいたかいをしてくれて「天才だ!」と絶賛。そこから、絵を描くことが好きになりました(笑)。

マンガ家をめざすようになったのは、小学生の頃からです。当時はお金がなかったので、友だちから『ドラえもん』のボロボロになった単行本をもらっていました。そこで破れたページを模写して復元していると、さまざまなキャラクターを描けるように。たちまち、クラスの人気者になりました。みんなドラえもんは描けても、のび太やジャイアン、スネ夫、しずかちゃんまでは上手に描けませんから。

 

――まわりの人に画力を評価されて、マンガ家をめざすようになったんですね。その後、水元さんは22歳でプロになり、現在も活躍しています。マンガ家に必要なコンピテンシーはなんですか?

もっとも大切にしているのは、B群の「柔軟志向」です。デビューからずっと売れ続ければ不要かもしれませんが、そんなマンガ家はひとにぎり。程度の差こそあれ、いつか挫折が訪れます。経験上、そのときに重要な行動特性が柔軟志向だと思います。

特にのようなジャンプ作家は若くして成功する人が多く、社会性が育ちにくい。そのせいか青年誌や一般誌のマンガ家と比較すると、たった一度の挫折でくじけやすい傾向があるんです。実際、より画力が高かったり、ストーリーがおもしろかったりするのに、消えていったマンガ家はたくさんいます。

――水元さんはどのように挫折から立ち直ったのですか?

デビューから6年ほど経った頃から、マンガの企画が通らない時期が続きました。その後はアシスタントなどを務めながら、売りこみ用のマンガを描く毎日。とはいえ仕事場にこもりっきりではなく、マンガ家が集まる飲み会には積極的に参加しました。

そういった機会などに売れっ子作家や編集者たちの意見を聞きつつ試行錯誤を続けた結果、再デビューが決まりました。そして仕事が少しずつ増え始め、

2010年に僕の代表作となる『グルメ学園トリコ』がスタート。本家『トリコ』が終了する昨年まで、6年間にわたって連載が続きました。

 

――状況の変化に応じて、柔軟に対応したわけですね。既存顧客や潜在顧客と交流を続けるのは、C群のコンピテンシー「顧客維持力」「顧客拡大力」「人脈」などにも、あてはまりそうです。

そうですね。このスピンオフ作品は『トリコ』作者の島袋さんから指名してもらったもの。がくすぶっている頃、よく彼と飲んでいました。そのとき、打ち合わせの帰りに持っていた企画の作品や資料を見せていたのがよかったのでしょう。

また、再デビュー前に『GTO』の藤沢とおる先生や『オメガトライブ』の玉井雪雄先生のアシスタントを務めており、売れっ子作家の時間管理やコミュニケーション術を学びました。そんな師弟のような関係から、原作を藤沢先生、作画を僕が担当する作品がのちに誕生。これも柔軟志向とC群のコンピテンシーが重なった結果かもしれません。

 

そのほかに「柔軟志向」が活きた出来事はありますか?

たくさんありますよ。たとえば、最初はジャンプ作家のプライドがあったので、少年誌以外の依頼や原作つきの作品は敬遠していました。でも売れなくなって、考えを改めたんです。マンガ家の王道から外れても、来た仕事はすべて引き受けようって。

その後は書籍のイラスト、ビジネス本のマンガ化、ネット動画番組の司会など、さまざまな仕事を引き受けました。『血液型あるある』シリーズや『もしもディズニーの卒業生がレストランを開いたら』など、元アシスタントのイラストやマンガを監修した本もありました。なかには、痛い目にあったことも。取引先の経営が傾いて原稿料が支払われなかったり、出版社の内部事情で新連載が白紙になったりしたんです。

そんなときに舞いこんだのが「クラウドファンディング」の提案です。これは不特定多数のサポーターから資金をつのり、デビュー前の未発表作品の出版をめざす企画。運営企業から原稿料はもらえないし、サポーター特典のサイン色紙や似顔絵などを描く手間もかかる。以前なら断っていましたが、「デビューから20周年の節目として初心に返ってみよう」と考えて取り組みました。その結果、目標金額の約600%もの支援金を獲得。お礼として設定資料本やデビュー前に作ったオリジナル同人誌などを追加しました。

――最後に、今後の目標を聞かせてください。

同期の売れっ子になった作家たちを追いこすことです。単行本の売上部数は追いこせないかもしれませんが、ほかのカタチなら超えられるはず。

そのひとつとして、今年8からマンガアプリを媒体にした新連載をスタートさせます。媒体の都合上、見開きページを描けないのは残念ですが、スマホならではのめくりは新感覚。いま紙媒体のマンガ雑誌は苦戦していますが、アプリ系マンガの市場は伸びていくかもしれません。

ほかにも、最初の連載開始から20周年を記念して、手塚賞受賞作品などを収録したアニバーサリーブックを今年813のコミケ(大規模な同人誌即売会)で販売予定です。そのために島袋光年、小栗かずまた、佐々木健、村田雄介というそうそうたる先生から記念本用のコメントイラストをもらいました。やっぱり、は柔軟かつ負けず嫌い(笑)。あきらめずに勝負を続け、いつか彼らを超えたいと思います。